はかまどトピックス
2016/12/19
「子どもに迷惑をかけたくない。」
「子どもに迷惑をかけたくない。」
ここ数年よく耳にする言葉ですが、私は少し違和感を感じます。
「迷惑」の主な中身は金銭的負担と精神的負担であることは確かでしょう。お葬式やお墓がその代表格のように取り沙汰されています。
果たして、親のためにお葬式をあげることやお墓を作ることが、残された子どもたちにとって迷惑なことなのでしょうか?迷惑かどうかは子どもたちが感じることであり、親が決めつけるのは少し違うのではないかと思うのです。
金銭的にも精神的にも本当に子どもに迷惑をかけたくないのなら、葬送に必要なお金を残して「お葬式もお墓も、あなた達が送りたいようにやって。」というのが最良の方法ではないかと私は思うのです。
「子どもに迷惑をかけたくない」というだけの理由で、まだまだ元気な時に、しかも子どもの意見も聞かずに、簡単な葬送(直葬や散骨・納骨堂など)に意思決定または生前予約してしまうことは、とても短絡的で後悔を伴うものだと思います。
元気な時に喧嘩したり鬱陶しく思ったりしていても、亡くして初めてその有難みに気づくものだということは言わなくともわかるはず。
本来お墓は、大切な人が亡くなって悲しみの淵に立たされたまさにその時に、どう埋葬してあげたいか考えるべきものだと思うのです。大切な人の死を目の当たりにした時にこそ、本当のお墓づくりの想いが、残された人の心に生まれるのです。
「子どもに迷惑をかけたくない。」という親側の軽率な美学に基づいて行動することにより、親子の感謝の拠り所をなくしてはならないと強く思います。
プラスダイヤ株式会社 宮下 武